散歩する地蔵

人生傍観者でいたい。

「ひきこもれ 」 吉本 隆明 著 

 コロナが大流行した時期、個人的にはコロナよりショッキングな出来事が起きた。

先ず、コロナが流行し、行動規制が開始され始めた時期に、当時付き合っていた彼女に振られたこと。次に、振られた直後に病気にかかり、体を動かすことに支障が出たこと。

 正直、コロナ発生による通勤規制等は、人ごみが嫌いな自分にとってはありがたかった。

しかし、彼女中心の自分の生活は、その彼女から振られたことにより一変した。

猛烈に孤独を感じ、寂しさが膨れ上がったのだ。

 仲の良かった友人も、既に家庭があり、私の相手を頻繁にしてくれる訳ではない。元々私は職場の同僚とは距離を保っているタイプ。 

 毎日が孤独に感じた。この孤独があったからこそ、仲間や友人、信頼できるパートーナーが以下に大切で、自分にとって価値のあるものかが再認識できた。

 そんなこんなで、私のコロナ禍は超「孤独」超「ぼっち」生活だった。当然、当初は猛烈な寂しさを経験した。しかし、ただ寂しいと思うだけでは、本当に死んでしまう。

 そこで、一人でできることを模索した。動画視聴、読書、筋トレ、散歩、ブログを書いてみる、勉強する等々。いつの間にか「ひきこもり」のような生活になっていた。勿論、文字のごとく家の中から外に一歩も出ないわけではない。「人」と接点が減って行ったのだ。

 それはそれで大いに問題なのかもしれないが、今振り返ると大きな収穫もあった。

それは、自分で考え自分で判断するようになっていたこと。

 私は元々他人から影響を受けやすい性格。今でもその気はある。しかし、何かを判断する際、他人の言うことを鵜呑みにせず、「自分」の決断であることを認識して、それから判断をするようになった。

 そう考えると、コロナ禍によって生まれた、「猛烈に寂しさを感じた期間」は、私の人生に大いに有益だったと言える。

 そんなこんなで、引きこもりはいいことだと思うようになって時期に、吉本隆明さんの「引きこもれ」に出会った。

 この本は当然「ひきこもり」を否定せず、肯定している。そして著者の吉本隆明氏は、自分が「ひきこもり」体質だったからこそ、出来たことを述べている。氏のような著者家にとって、仕事=「ひきこもる」みたいなもんなので、当然というか必然だと思う。

 考えてみると、私の尊敬する人はひきこもり体質だ。また、少々せこい話だが、節約の観点からは引きこもりの方が有益だ。

 著者 吉本隆明  タイトル 「ひきこもれ」 

 はおすすめの本。